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わたくしのぶろぐ
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今テレビでやってた番組。NHKの社会問題系の重いドキュメンタリー。そういうの滅多に見ないんだけど、たまたま見た。

重かった。孤独死とか、身元不明とか、遺骨の引き取り手がいないとか、そういう話だった。

ドキュメンタリー系はあんまり見ないので全ての番組があんな感じなのかは知らないけど・・・映像も構成も非常に簡素で素材そのままの作りだった。テロップも衝撃を煽るナレーションもなく、亡くなった人の生前の軌跡を追い、あるいは処理にあたった役場や発見者のインタビューを流す。

カメラは時に、無人になった家の中をじーっと映す。窓枠に置かれたマグカップと、その中に立てられた歯ブラシ。コタツが置かれていた座敷。退職まで20年間、無遅刻無欠席で勤務していた工場。

 

死。

事故のニュースとか、漫画や小説とか、新聞とか。

そういうものでわりと日常的に触れている。

それだから、いつもと全く違う角度から切り込んで来たそれは、圧倒的な現実性を持っていた。

現実、こわい。

これは本来、二次元なんかで太刀打ちできる代物じゃないのかもしれない。フィクションとノンフィクションの差。演出ナシ、味付けナシが一番リアルだ。

ちょっと何言ってるのか分からなくなってきました。・・・とにかく、テレビ番組で戦慄したのは久しぶり。

NHKはすごいわ・・・民放のドキュメンタリーだとこうは行かないんじゃないかと思う。多分、数字を取るために考え出された演出・台本・完成イメージがあって、都合のいい真実とかいうものが生成されていくんだと思う。

一般人の死なんて、“こんな地味な素材”を何の味付けもせず

息の詰まるような至近距離から、あるいは遥か望遠から、浮き彫りにするだけの番組を他局が作れるだろうか

何が言いたいのか、いよいよ分からなくなって参りました。とにかく、NHKのドキュメントがこんなにヤバい物だとは思ってなかった。民放バラエティーとはもはや世界が違う。

受信料、ちゃんと払おうと思います。

 

 

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今日、5月10日は声優・塩沢兼人の命日だ。塩沢さんが亡くなってからもう9年になる。

私たちの世代にとっての塩沢ボイスは多分「ぶりぶりざえもん」だろう。
塩沢さんが亡くなって以来、ぶりぶりざえもんはアニメの中で一度も喋っていない。スタッフは決して二代目の声優を起用しない。ぶりぶりざえもんの声は今後も『封印』ということになっているのだ。

最近「銀河英雄伝説」にハマったことは、しばらく前の記事に書いたと思う。その中でも一番好きなキャラ“パウル・フォン・オーベルシュタイン”を演じているのが塩沢さんだ。その流れで私の中に塩沢ブームが来てる。YouTubeやニコ動で音源をあさっていると、昔は縁のなかったBLCDなんかも引っ掛かってくる。「アタシもすっかり腐っちまったぜ!」と思いながらも、耽美な台詞に塩沢ボイスの真骨頂を実感している。あの人の声は実にエロいんだ、全く!



9日の夕方から、時計を見ながらずっと塩沢さんの事を考えていた。転倒事故の時間帯を過ぎた辺りで、塩沢さんの死が今まさに近付きつつあるようにさえ感じられた。
この8年間、何の考えもなく過ごして来た日なのだけど。
 

(タイトルのダジャレとか、最低ですねマジで)

 

今日はなんかグダグダなんで下げときます。

「鬱屈してる文章だから読まない」くらいの待遇でいいと思います。

いやー、すんません。

手紙が書けない。精神的に追い込まれて錯乱するくらい、書けない。

昔から不思議に思ってたんだが、私は手紙を書くことが出来ない。メールなら打てるのに。

昔から、折々に親戚から頂いた贈り物に対して、お礼の手紙が書けずにいた。親に「書きなさい」と言われて泣いた。

小三で引っ越した後によく遊んでいた友達から手紙が来た。その時代の知り合いとの親交は全て切れている。友達からの手紙を捨てることは出来なかったので、その後何年も手紙を見つける度に呵責で心蔵が痛くなった。

昨年ある団体から奨学金の給付を受けた。奨学生の義務は理事長への毎月の手紙だった。恩も義務も自覚していたが、手紙はついに二回しか書けなかった。

その件では親に随分と責められた。正直言って私は自分に甘い。よく「やりたいことしかやらない」と言われるし、すぐに義務を疎かにする駄目人間だ。

でもこの手紙の書けなさは異常だ。甘えてるとかいうレベルではなく、どんなに追い詰められても決して書けない。奨学金の手紙については親に随分と責めらた挙句にヒステリー(父談)を起こした。責められて爆発したのは恐らく、社会的義務を自覚していて罪悪感に追い詰められたからだ。「手紙なんか書かなくていいんだぜ」と割り切れていたら何度責められても鼻で笑っていられたはずだ。



書かなければいけないことがそうまで分かっていて、なぜ書けないのだろう?

あるいは手紙に限らずとも、人には似たようんな鬼門があるだろうか?その原因は?

一般的に考えると、幼少期にトラウマが出来たか。親から「あと30分で手紙を書き上げなさい」と言われて出来なくて苛烈な罰を食らったとか、繰り返し追い詰められたとか。そういう場合は手紙が書けなくなるだろうな。

自分の体験としてはあまりにも非現実的過ぎて、失笑が漏れた。そういうのとは縁がないはずだ。なまじ児童虐待の知識があるから思考がすぐそっちに行くぜ。(・・・って書くと友達が5人くらい減りそう。あくまで昔の授業で調べただけだからね!)


ともかく、手紙が書けないのは困ったものだぜ。催眠術か護符かなんかで治るなら試したいもんだ。祈祷師でも呼ぶか?

普段はこういうことは日記帳に書く。絶対にブログには載せまいと思ってたんだけど、今はちょっと普段のルールから逸脱して気分転換をしたい。ぶっちゃけ読まないほうがいいよ。いや、友達に教えてるブログの表面でそんなことを書くのがいかに手前勝手で、図々しくて、物をわきまえてないかって事はアタマでは分かってて・・・後で痛感して、自分を殴り殺したくなるだろうな。

(当然読まれるだろうところに出しておいて「読まないほうがいいよ」なんて私は気が狂ってるのか?例えば女が大通りに裸で出てきて、驚く人々の前で「カラダ見られると、恥ずかしいです・・・」とかほざいてるようなものだものな。『見られると』も何も、お前見がせてるんだろうに。『読まないほうがいいよ』も何も、お前が読ませてるんだろうに。馬鹿か>>自分)

あ、書いてるうちに痛感してしまった。しまったなー。ほかの人間が全裸で出てきても、戸惑いこそすれ『特殊な事情を抱えてるんだなぁ・・・?』と思うんだけど。その割には自分がその「恥ずかしい」と口にした女だったら(カラダを見られたということを抜きにしても)自己嫌悪で死にたくなるだろう。

他人がやってるぶんには何とも思わないくせに、自分がそれをする側になるのは絶対に(自分を)許せないな。それも変な話だけどな。ほかの人がブログに「読まないほうがいいよ」って書いても自分は気にしないのに、自分がそう書く側になるときだけ自分の心が『それはやってはいけない事だ』と言う。

何かがねじれてるな?読んでる人には、何がおかしいのか分かるか?

思考の赴くままに書き散らかしてるせいか、本人には原因が分からないんだ。不思議だな。後で読み返してみようか。

 

ああ、ともかく冒頭の「こういうこと」ってのは、やっぱり書かないことにした。 

前置きが本題を食い潰すとはね。

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さえき(saeki/S女史)
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女性
自己紹介:
好きな色は青・深緑・赤白黒。大の武具甲冑好きにして生粋の日本刀フェチ。好きな刀の部位は今のところ鎬かな☆(刀身を光に照らした時にカッコイイ)。好きな恐竜の学名は“Eoraptor lunensis (暁の略奪者)”で好きなドロンボーはボヤッキー!
タバコ吸ってる人がキョロキョロした瞬間に灰皿を差し出し、時間を聞かれた時に誰よりも早く答えることを生き甲斐にしている。座右の銘は「当意即妙」。軽度のナルシズムは功罪一体で重度のサディズムは秘匿事項。手紙書き・片付け・シイタケが非常に苦手な、体長163cmの学名“Homo sapiens”でございます。
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